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■□■ エチオピア料理 ■□■

ethiopia

◆ 訪店日

  2008年4月21日(月)

◆ お店

  『クィーン・シーバ』

     地下鉄日比谷線中目黒駅 徒歩7分 
     東急東横線中目黒駅 徒歩7分

       http://www.queensheba.info/

◆ つぶやき

じゃみーらなかなかよかった。
すっぱいパンは微妙だったけど〜。
帰りに買った、中目黒の移動車販売のメロンパンが、なかなかおいしかったな。
って、エチオピア料理とは、まるっきり関係ないけど。(じゃみーら)

みやちゃn≪ランボーを追って神秘の国エチオピアへ≫           
エチオピアと聞いたら何を連想するでしょうか?
東京オリンピックのマラソンで優勝したアベベ選手でしょうか?
それとも、エチオピア産のコーヒーでしょうか?
私にとってエチオピアは、19世紀のフランスの放浪詩人ランボーが晩年を過ごした地です。
私は彼の詩よりもその生涯に興味があります。
彼は若くして文壇にデビューしますが、20歳前後には創作活動からは身を引き、欧州を放浪した後、37歳で亡くなるまでの約10年間を貿易関係の仕事やアフリカ奥地への探検などをしてイエメンの南端の港町アデンとエチオピアのハラルを行き来しながら暮らしていました。
ハラルで右膝に腫瘍を患って歩くこともできなくなった彼は、使用人たちに担架にかつがれて、高熱と激痛に耐えながら険しい路を数日かけて紅海沿岸の町にでました。
祖国フランスで手術をして右足を切断します。
再びハラルに戻ろうと思ってマルセイユにやってきますが、すでに全身に癌が転移していた彼はハラルを夢見ながらマルセイユの病院で亡くなってしまいます。
私は彼がそれほどまでに憧れたハラルにいつか行ってみたいと思っていました。  
2005年9月に念願かなってエチオピア旅行をする機会がありました。
旅の準備として、まずは検疫所で黄熱病の予防注射をしました。
1度すれば10年間有効で、イエローカードと呼ばれる証明書を発行してくれます。  
いざ出発。
赤道に近いアフリカ中央部というともっと暑いと思っていましたが、首都のアジスアベバの空港に降り立つと思いのほか涼しい。
それもそのはず、エチオピアはそのほとんどが標高2000m以上(アジスアベバは標高2400m)の高地です。
日差しは強いがとても爽やかで、日陰や朝晩は涼しいくらいです。
雨期の終わった直後とあって、高原はマスカル(エチオピアの公用語のアムハラ語で十字架の意)の黄色い花と緑で覆われていました。
まず訪れたのが、かつてアクスム王国があった北部の町アクスムです。
アクスム王国は、紀元前5世紀から10世紀ごろまで続いた交易国です。
ソロモン王とシバの女王の間に生まれた男の子が初代の王メネリク1世だと言われています。
伝説では、成長したメネリクが帝王学を学ぶために父親であるソロモン王に会いに行き、数年を過ごした後、エチオピアに帰国するときに、王が彼にモーゼの十戒を収めた聖櫃(アーク)を与え、数千人のユダヤ人の兵士が付き従ったと言われています。
それは今もアクスムのシオンの聖マリア教会に大切に安置されていると言われています。
教会の敷地内には部外者は立入禁止の聖域に独立した一つの小さな建物があります。
選ばれたただ一人の聖職者のみがその建物で終生過ごし、その中の聖櫃を守っているそうです。
食事も別の聖職者が運んでくるので、片時もその場を離れることはなく、その聖職者が亡くなると、また次の聖職者が選ばれるそうです。
数メートル先にその建物を実際に目にしながら、そう説明を受けると、まったく異世界に迷い込んでしまったような印象をうけました。
正直言って私にはそこに本当にアークが存在するのか半信半疑ですが、それを見守って数メートル四方の世界で一生を終える人がいるということの方が驚きであり衝撃でした。  
エチオピアではこのように古くからキリスト教が広まりましたが、それはヨーロッパ世界とは別の道をたどり、エチオピア正教と呼ばれる独自のキリスト教に発展しました。
現在、エチオピアでは、約50%がこのエチオピア正教で、30%がイスラム教です。
地理的に大きく分けると、北部と西部がキリスト教(エチオピア正教)で東部がイスラム教、南部がアニミズムです。
私が今回訪れた町のほとんどはエチオピア正教の町でしたが、唯一ハラルだけがイスラムの町でした。
ハラルへは、アジスアベバから小さな国内線に乗って1時間、まずは東部の中心地ディレダワへ向かいます。
ここはちょうどキリスト圏とイスラム圏の境目で、町の市場を歩いていると正教の十字架のある教会と先端に三日月をかたどったイスラムのモスクが同時に目にはいってきます。
広場の周辺の看板なども公用語のアムハラ文字とアラビア文字が混在していて、不思議な感じがします。
このディレダワを境にここから東部はイスラムの町になっていきます。
ランボーが約120年前に暮らしていたハラルへは、徐々に山道を登りながらバスに揺られて約1時間かかります。
ハラルはイスラムの聖地であり、町の旧市街は高さ約3m、外周3500mの城壁に囲まれていて、その中は車の通れる道は少なく細い白壁の通りが迷路のように入り組んでいます。
城壁内には大小99のモスクがあるそうです。
また、ここはエチオピア最後の皇帝、ハイレ・セラシェの生まれ故郷であり、エチオピアの中でも極上のコーヒーの産地です。
そして、ランボーハウスという木造の立派な記念館があります。
かつてランボーが住んでいた所のように書いてあるものもありますが、実際には彼の死後、フランス人の宣教師によって建てられたものでランボーとは直接関係ないそうです。
しかし、今は内部にランボー関連の書籍や直筆の書簡などが少しばかりとハラルの町の当時の写真などが展示されています。
現在のハラルにランボーの痕跡を見つけることは困難でしたが、城壁の中の昼下がりの町は明るい日差しの下ゆったりとした時間が流れ、祈りの時間にはアザーンが響きわたり、市場ではスパイスが強烈な香りを放ち、生肉の塊が並んだ精肉場の上では数羽のタカがゆっくりと旋回し、100年前とほとんど変わらない空間がそこにあるように感じました。
折しもちょうど結婚式があり、祝いの音楽が風にのって流れてきました。
現地ガイドさんの後について迷路のような狭い道を右に左に折れ曲がって上ったり下ったりしていくと、だんだんと音楽が大きくなり、とある白壁の家の中庭に出ると、金糸や銀糸の刺繍のあるカラフルな晴れ着に身を包んだ女性達が音楽と手拍子にのって踊っていました。
輪の中心にいるのは花嫁のお母様で、花嫁はまだ姿を現していませんでした。
イスラムの結婚式では、女性は女性だけで、男性は男性だけで祝いの儀式を執り行います。
なかなか見ることのできない貴重な体験でした。
さて、エチオピアでは見るもの聞くもの目新しいものが多くご紹介したいものもたくさんあるのですが、あと1ヶ所、世界遺産にも指定されているラリベラの岩窟教会群について書いて締めくくりたいと思います。
これらは、12世紀に聖地イスラエルへの巡礼の道がイスラム教徒に占領され困難になったため、ラリベラ王がこの地に第2のエルサレムとして建設を試みたものです。
それらは岩盤地帯の巨大な岩を彫りぬき、2万人が24年もの歳月をかけて作り上げたものと言われ、12の岩窟教会があります。
また、これらの教会はすべて地下道でも繋がっているそうで、実際そのうちの一ヶ所を歩きました。
人一人がやっと通れるぐらいの狭くて真っ暗なひんやりした荒削りの地下道を懐中電灯の明かりだけを頼りに一列になって歩くこと数分。
地上からはまったく見えない岩陰にある別の教会の真下に出ました。
どの教会も自然の岩場を利用して建てられたものが多く、背後の壁はそのまま岩肌を利用しているものもあるし、さながら巨大な岩の彫刻品です。
内部の床は岩の上に絨毯やゴザのようなものが敷かれているだけです。
中でもとりわけ美しく目を引くのが、聖ギオルギス教会です。
この教会は平らな岩盤を真上から掘り下げて造られたものです。
つまり、一番初めに天井部分が出来上がってそこからだんだん下層の部分が造られていったことになります。
上から見るとその形が見事な正十字になっています。
その高さ(深さ?)は12m、奥行き、幅とも12m。
ノアの箱船を象徴しているものだそうです。
手で触れてみると本当に硬い岩盤です。
大型機械もなかった時代に手作業で、それを何mも掘っていくことを考えたらまったく気が遠くなります。
ヨーロッパの教会とは異なる自然と一体になった素朴で荘厳な教会群と厚い信仰心に驚かされました。
エチオピアは本当に歴史のある興味深い国です。(みやちゃん)